片桐 竜一

対等合併による複眼都市形成と地域の変遷過程に関する研究

中出文平・樋口秀・松川 寿也

旧合併特例法のもとで行われた「平成の大合併」によって、全国の市町村数はかつて約3,200市町村余りあったものが、約1,800市町村にまで減少した。新しい自治体の中でどのような都市政策を進めていくかは、旧自治体間の一体的な整備にも大きな影響を及ぼすものであり、長期的な視点に立った政策が求められる。本研究は、昭和46年4月29日に旧高田市と旧直江津市が全国初の対等合併をして誕生した新潟県上越市を対象に、合併後の地域政策から各種施設や土地利用の変化などの変遷を追い、それらの背景を読み取ることで合併後の地域政策のあり方を模索することを目的としている。
本研究では、文献やヒアリング調査をもとに、まず数度に亘って策定された総合計画や都市計画マスタープランなどの上位計画、その他地域整備に関わる各種計画の内容を比較することで、地域整備方針の変遷を明らかにし、実際の市街地整備状況を土地区画整理事業や公共施設、道路網の整備状況から計画と開発の関連性について分析した。次に、市役所が立地して市内で最も市街化が進行している春日・新道地区を詳細対象地区として取り上げ、基盤整備状況やそれらが整備された背景を把握した。また開発状況を数値的に分析するために、開発許可、道路位置指定、建築確認の各申請状況についても各資料から転記した。
その結果、上越市の誕生前に合併協議を行っていた5市町村(旧高田市、旧直江津市、新井市、大潟町、頸城村)を枠組みとして策定されたマスタープランとして、日本都市計画学会によって策定された「高田直江津地域広域都市計画」があり、その後の上越市での合併建設計画や総合計画などにも大きな影響を与えていることがわかった。実際の市街地整備でも、幹線道路の骨格形成や市街化区域の設定などに生かされている。一方、春日・新道地区の整備では、市役所を中心とした整備過程で、将来の周辺整備に備えて事前に土地を確保して造成していたことがわかった。また信越線西側の整備では農政側との協議の末、民間の開発許可による宅地開発と土地区画整理事業が連携して行われ、基盤整備が進められたことも明らかになった。そして現在の春日・新道地区の一体的な位置づけについては当初は想定されておらず、上越IC周辺の急激な市街化によって謙信公大橋が地域を結ぶ軸として計画され、両地区が一体化されたこともわかった。
これらの分析を通じて、合併後の地域整備に向けた計画方法と将来を見据えた地域の基盤整備方法について示した。

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